2021年10月6日 / 最終更新日時 : 2021年10月8日 kyobashi_toko 第二分団 京橋の今昔 今回は、第二分団の詰め所がある周辺を探ってみました。 江戸時代に造成された多くの掘割により、京橋川がながれており比丘尼橋という橋がかかっていました。 比丘尼橋は歌川広重により当時の姿が描かれています。 今となっては全く面影がないですね。 「山くじら」とはイノシシ肉の事で、江戸時代は獣肉を食べる事をよろしくないとした風潮があったが、美味であったことから魚とされていたくじらに擬して獣肉を提供したようです。 比丘尼橋の位置関係。橋の脇、北紺屋町に二分団の詰め所があります。 浮世絵と同じ角度?高速手前に見えるのが詰め所で、その昔は消防署の出張所がありました。コーンが立っている所が車両格納庫でしたが、良く見ると大きな段差がありますよね。まだ、京橋川が残っていた頃の橋のアーチに合わせて作られたので、このような形で残っているそうです。 FacebookX